恐怖・不安と心理カウンセリング 2

危険だ、と脳の奥深くが告げている。これ以上知るのは危険だ、と。鼓動に押し潰されそうだ。私は額に手を当て、自分が冷や汗をかいていないかどうかを確かめる。大丈夫だ。表には何も出ていない。今のところは。

伊藤計劃 『From the Nothing, With Love.』

「いちばん辛いのは、怖いことなんだよ。実際に痛いことよりは、やってくるかもしれない痛みを想像する方がずっと嫌だし、怖いんだ。そういうのってわかる?」

村上春樹 『めくらやなぎと、眠る女』

続きです。先の記事では恐怖と不安の成り立ちと役割について紹介しました。脅威から我が身を逃がすため、予測される危険を回避するために働く感情が恐怖と不安です。

上の小説(『From the Nothing, Wiht Love.』)の一節のように、身体からのメッセージと捉えることもできるかもしれません。ヒトはこれらを進化の過程で獲得しました。実際に目の前に危険が迫れば誰でも恐ろしいですし、社会情勢が不穏であれば誰もが不安になります。それが自然な反応です。

Feinstein et al.(2011)の報告に示されていたとおり、仮に私たち暮らしから恐怖も不安も無くなってしまえば、それ自体に苦しむことがない代わりに現実の身の危険にさらされる回数は格段に多くなるでしょう。とはいえ、あまりに敏感であっても疲弊してしまう。

以上のように、恐怖・不安は私たちを助けてくれる働きを持つ感情です。これらを無くしてしまうわけにはいきませんし、現実的でもありません。問題は有無ではなく、程度や影響の仕方です。

警報装置としての感情

このことを説明するために、ときどき火災報知器を例にします(あくまで例えなので火災報知器の詳細な仕組みについてはご容赦ください)。火事が起きたとき、火災報知器が作動することで私たちは身を守れます。故障していたり感度が低すぎたりすると危険です。しかし、感度が高すぎて暖房を入れたり魚を焼いたりして作動しては大変です。「火災報知器が鳴ってしまったらどうしよう」と心配しすぎれば、エアコンやグリルを使わなくなってしまうかもしれません。警報装置はほどほどの感度で働いてくれることが重要です。

我が家のは入居時から斜めっていますが……。

では、私たちの生活においてはどのような場合に程度や影響の仕方に「問題がある」と言えそうでしょうか。計器のように感度を測定して線引きするわけにもいきませんから、
・苦痛の程度
・生活に支障が生じているかどうか
が目安になります。

生活への支障

ヒトは生まれつき、または経験を通して何かを恐ろしく感じるようになります。蛇を目の前にして恐怖を覚える人はそうでない人よりも多いでしょう。かといって、「蛇がいるかもしれないから」という理由で外出できなくなるのは支障が生じている可能性が高い。自動車事故を起こした後、車の運転が恐くなることに不思議はありません。ですが、それ以降ハンドルを握ることを避け続ければその人の人生のある部分を損なうかもしれません。

逆から言えば、恐怖や不安があったとしても苦痛の程度がそれほどでもなく、現在の日常生活やこれからやりたいと思っていることに影響を及ぼすものでなければ、「まあそういうもの」くらいで様子を見るのも良いでしょう。誰にだって恐いものはあるのですから。

ただ、支障が生じているかどうかが自分でもわかりにくくなっていることもありえます。そうした場合も含めて、気がかりな際には一度医療機関、相談機関に相談されることをお勧めします。自治体でも「こころの健康相談」事業を行っており、精神科医や精神保健福祉士など、専門家が対応してくれます。

次に、医療機関や心理カウンセリングの利用について紹介します。

続きます。何も考えずにタイトルに「~と心理カウンセリング」とか付けてしまったので……。「後で困るんじゃないか」と身体が教えてくれれば良かったのかも。

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<資料>
・Feinstein, J.S.,Adolphs,R.,Damasio,A.,& Tranel, D. (2011). The Human Amygdala and the Induction and Experience of Feat, Current Biology 21,34-38.
・伊藤計劃 (2012). The Indifference Engine 早川書房
・村上春樹 (1996). レキシントンの幽霊 文藝春秋
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