認知行動療法と医療保険 2

前回からの続きです。

普及への壁

前回の記事では、認知行動療法(以下CBT)の保険制度と実情の齟齬について書きました。有効性が確認され、患者さんからのニーズも高いことから制度が用意された一方、身近なクリニックでCBTを用いた治療を受けることは依然として難しいままです。

ここでは高橋ら(2018)、吉永(2018)の調査を参考に、
(1) コスト
(2) インセンティブ
の2つの側面から、どうしてこのような状態が続いているのかを考えてみたいと思います。

コスト

制度を根付かせるためには、実施者を確保しなくてはなりません。CBTを含めカウンセリングは1回の実施にそれなりの時間がかかりますから、実施者が少なければ広く行き渡らせることは不可能です。医師だけでは普及にはとても数が足りないことから看護師にも広げることになりました。

CBTは専門知識・技術なので、習得するには学習と研鑽が必要です。例えば、看護師によるCBTの実施が保険適用になるためには講習を受けることや医師の診察に一定数以上同席することなど、いくつか要件が定められています(2018年にはやや緩和されたようです)。

一通りの学習や所定の研修を終えれば完了ではなく、その後もアップデートが求められることは言うまでもありません。そしてそれは多くの時間(と金銭)を必要とします。研修会の多くは日曜日に開かれますし、金銭面では書籍代、学会費、研修会費、旅費、宿泊費…などなど。多くの場合、これらは個人の持ち出しとなります。

こうしたコストに見合うキャリアアップ/収入増に直結しなければ、CBTの習得は個人的な関心・問題意識に強く動機づけられるしかありません。個人が専門知識・技術に関心を持ち学ぶことは素晴らしいですが、制度がそれに頼るようでは心もとないと言わざるをえません。

問題はそれに留まりません。

中央社会保険医療協議会の議事録(第319回)を参照すると、診療報酬の算定要件を看護師に広げる目的が医師の負担軽減にもあったことがわかります。高橋らの報告でもCBTの実施阻害要因として、「実施する時間がない」が多数挙がっています。現場の医師にとって1回30分の診療は現実的ではないのでしょう。その代わりとして、看護師が担当すれば……と。

しかし、当然ながら看護師も多忙です。仮に1日4名に実施するとして、面接のみでも最低2時間、実際には加えて記録の時間も必要となります。医療機関によっては、業務の再編成で対応できる所もあるのかもしれません。多くのクリニックでは看護師を追加で雇うことになります。そこまでして導入しようとするクリニックがどれだけあるのか……。

厚生労働省からは「医師が多忙」という問題意識から「知識・経験のある看護師を活用しよう」という解決策が当然のように提示されています。どのような医療機関を想定して制度設計を行ったかはわかりませんが、多くのクリニックの現状では非現実的であることは想像に難くありません。

このように、現在の制度下におけるCBT実施者の確保には、個人にとってもクリニックにとっても、大きな負担が生じます。

インセンティブ

次に保険制度に目を向けてみましょう。TVのニュースや新聞で「今年度の診療報酬改定は……」といった文言にふれる機会もあるかもしれません。個々の医療サービスは1点10円で点数化されており、それに応じて医療機関・薬局の収入、患者さんの負担額が決まります。

国がある医療政策を実現しようとするとき、呼びかけるだけでは現場は動きませんから、診療報酬の改定というインセンティブの操作を通して誘導がなされます。例えば、抗不安薬の長期投与、多剤併用はその弊害から、減らしていく方向に向かうよう調整されています。「電子マネーで決済すれば〇%還元!」と同じです。

さて、前回に書いたとおり、保険適用でのCBTでは実施者について決まりごとがあるだけでなく、実施時間も要件となるのでした(30分以上)。それを踏まえた上でCBTと通常の診療を比較します。

CBTを医師が実施した場合の診療報酬は480点(4800円)、医師および看護師が実施した場合には350点(3500円)です。一方、クリニックに通う患者さんの多くが受けている通院精神療法(5分以上30分未満)の診療報酬は330点(3300円)。いずれも、患者さんの窓口での負担はその3割(自立支援医療制度を利用する場合は1割)の金額です。

  • 認知療法・認知行動療法→30分以上:4800円 or 3500円
  • 通院精神療法→5分以上30分未満:3300円

通院精神療法の診療時間はクリニック・医師によって異なるでしょうが、仮に患者さん1人あたり10分の診療時間と仮定しても、倍以上の収入となる計算です。多忙さだけでなく経営上の観点からも、医師のCBTはデメリットが大きい制度設計となっています。

まとめ

補足のはずが思いがけず長くなりました。身も蓋もない言い方をすれば、現行制度におけるCBTは医師・看護師個人にとっても多くのクリニックにとっても、まだまだ「割に合わない」のだろうと思います。

こうした事情の中で、保険適用のCBTをを実施していない医療機関での希望する患者さんへの対応は、
・医師が通院精神療法の中でコンパクトに実施する
・より専門性の高い医療機関を紹介する
・院内でCBTを実施可能な心理士が担当する
・提携するカウンセリングルームを紹介する
・外部のカウンセリングルームを紹介する
などさまざまです。現在通院中で「CBTも試してみたい」と気になった方は、時間や金銭的な事情も含め、ひとまず主治医に相談してみましょう。

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<資料>
・高橋史・武川清香・奥村泰之・鈴木伸一 (2018). 日本の精神科診療所における認知行動療法の提供体制に関する実態調査 行動臨床心理学研究室,http://ftakalab.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/08/japancbtclinic_report.pdf
・吉永尚紀 (2018). 質の高い精神療法(認知行動療法)の迅速な普及に向けて:National Databaseを用いた実施状況・地域差の把握と提供体制整備への示唆 医療経済研究機構,https://www.ihep.jp/docs/21_yoshinaga.pdf
・中央社会保険医療協議会 総会 第319回議事録,https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000114582.html
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